【エジプト旅行記】王家の谷編
5日目続き 王家の谷編
楽しみにしていた王家の谷。エジプトではナイル川を挟んで『死者の街』『生きている人の街』と分けて考えられていて、王家の谷には昔は生きている人は入ることができなかったみたい。今でもお墓は王家の谷がある側に建てる決まりになっているのだとか。
王家の谷にはかつての王たちのお墓が1個1個あり3つまでは入場券で入ることができます。ツタンカーメン王のお墓は別途入場料が必要なので注意!
基本的にカメラ撮影がNGなところが多くガイドさんがここはOKここはしまってと教えてくれました。カメラはだめだけど、携帯で撮るのはOKなところもあったり基準はよくわからなかったけれど難しかった。カメラを没収されている観光客が起こっている場面を度々見ました。
入り口からお墓までは距離があるので、黄色のトロッコに乗って進みます。ちょっと顔が怖い。(これはツタンカーメン王のお顔だとか)
↓中に入れるお墓は、きれいに舗装されていて、神秘的でした。
初めて王家の谷を使い始めたのはトトミス一世。王家の谷に王の墓を作った人たちは、お墓の場所が知られないように王様に命令で暗殺されてたんだって。そのため少数精鋭で取り組み作るのに時間がかかるので、前の王様の葬儀が終わり次の王様が即位した後、すぐに次の王様のお墓作りを初めていたそう。どこの国でも昔は人の命が粗末に扱われている歴史があって、悲しくなった。
王家の谷にあるのは王様の墓のみ。王妃や子供はまた別のところに埋葬されていました。(王妃の谷)
↓棺桶が安置されていたお部屋
古代エジプトでは死後も現世とおんなじ暮らしができるとされていたので、様々な副葬品が埋葬されたとのこと。壁画も凝っていて見応え抜群だった。
王家の谷の後はハトシェプスト女王葬祭殿へ。
3600年前にハトシェプスト女王が建てた葬祭殿。ハトシェプスト女王は当時20年間エジプトを支配しており一度も戦いをせず葬祭殿を作った女王。カルナック神殿が見える設計になっており、山に囲まれており、ワシの翼のような形になっている土地を選んでここに建てたのだそう。
↓色が残ったままの壁画。
今まで紹介した壁画も、元々はこの壁画みたいに色がついていたのが、風化してしまい
ハトシェプスト女王はエジプトからソマリアまではじめて行き、木を持ってきて植えた話をガイドさんは熱心に語っておられたのだけれど、何故なんだっけな。調べてもわからなかった。現地でぜひ聞いて、あわよくば私にも教えてください。
帰りは帆船に乗ってナイル川を航海。風の力だけでナイル川を進む。航海士さんの巧みな船さばきは素晴らしかった💯帆船に乗れる機会なんて滅多になさそうなので、かなり興奮しました。本当にエンジンも何もついていなかった。ガラベイヤ(エジプトの民族衣装)を着ている男性の大半が裸足だったのに驚いた。
6日目のエジプト考古学博物館編へ続く
▲keyword
Valley of TheKings Karnak Temple Egypt trip travel Aswan Edfu