【エジプト旅行期】エジプト考古学博物館編
▲6日目 エジプト考古学博物館編
カイロへ向かい、エジプト考古学博物館へ。
この博物館は1858年考古局に付随する施設としてカイロのブラーク地区に建てられた。現在の建物は1900年にフランス人の建築家のマルセルさんによって建てられたものだそう。建て替えの経緯は不明。調べたら出てくるかも。写真の建物についている女性の像。真ん中はハトフル神、両横はイシス神とのこと。どこに行っても神様がいるエジプト。ありがたい国です。
↓博物館の周囲の様子
なんだか不思議な像。彫刻の森美術館とかにありそう。
博物館は2階建てになっていて1階はツタンカーメン関連。2階はピラミッド時代のものが飾られていました。この博物館の見所はツタンカーメンの黄金のマスクとミイラ室のたくさんのミイラ。ツタンカーメン王の黄金のマスクは、写真禁止だったので現地に行った際にぜひ見てください。この写真はただの黄金のマスクです。
エジプトに行くまで知らなかったのだけれど、ツタンカーメン王は当時のエジプトでは大した王様ではなかったそう。今有名なのは、死後に手付かずの状態でお墓が見つかったから。王家の谷でお墓泥棒に荒らされていない状態で見つかったお墓はツタンカーメン王のお墓だけ。それで有名になったのだとか。
なぜ彼のお墓は荒らされていなかったのか。ツタンカーメン王がエジプトを支配したのは9年間。神殿も作っていないしたいした功績も残していない。だからお墓泥棒も真剣に探そうとせず、現代まで残っていたのだと言われている。
そんなツタンカーメン王のお墓でもかなりの金銀財宝がお墓からみつかっている。もし有名な王たちのお墓がそのままの状態で残っていたとしたら、、、どれだけの金銀財宝があったのだろう。と考えるともったいないな。笑
↓これらはミイラにする時に出した内臓をしまっておく臓器入れ
棺桶とおんなじ形に作られていて凄かった。(語彙力、、、)
こらは私がツタンカーメンよりも見たかった死者蘇生の書。死後の世界の楽園までの道のりを書いた、今で言うカンニングペーパー。本来ならば死ぬ前に、死者蘇生の書の内容を暗記しておく必要があったらしい。もし死後の世界で分からなくなった時に見れるように、棺に入れるのがしきたりになっていたそう。当時のエジプトでは、死者は数十ヵ条に上る審問を受けなければならず、この審問を経て、死者は復活の神オシリスに化して来世の幸福が約束されると言われていた。途中で蛇と戦うこともあったりかなり険しい道のりだった模様。
死者蘇生の書に使われているのは、paperの語源にもなったとされているパピルスという世界最古の紙。パピルスは今でもエジプトのお土産として人気であり、私も道中にあったお土産屋さんで私も買ってしまった。(そして、かなりぼられた気がしてる。
↓売ってるのはこんなの
ピラミッド編へ続く。
▲keyword
EgyptianMuseum Tutankhamun Karnak KarnakTempleTemple Aswan Egypt Egypttrip Egypttravel Edfu